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Channel: 大家の愚痴
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村山談話が出て来た経緯

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1月29日の書き込みに村山談話が出て来た経緯の説明が有りました。

1995年6月9日、当時衆議院議長だった土井たか子は「今日は議会は開催されない」と嘘をついて自民党議員を帰らせた後、20時を過ぎてから突然衆議院を招集。265人の議員がすでに選挙区に帰るなどして欠席する中、議員総数509人の半数以下の230人の賛成で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」とも呼ばれる謝罪決議『戦後50年の国会決議』を強行採決しました。
天安門事件を何とか乗り切って体制の強化を図る支那に対する売国左翼政権からの献上品としての決議でしたが、肝心の支那からは

・不反省の決議
・過去の侵略をごまかそうとする犯罪
・平和の決議ではなく平和の破壊
・軍国主義復活決定の表明
・不謝罪決議
・支那に対する公然たる挑戦
・皇国史観の証明書

などと激怒され政府を慌てさせます。そこで、さらに支那に配慮して反省の色をより強めて発表したのが、悪名たかい『村山談話』なのです。
これにより河野談話に代表される捏造を含む戦中行為の事実認定と謝罪が半ば既成化してしまい、それにより保守の勢力は大きく削がれ、決議や談話に反対する自民党閣僚に辞職を迫るなど強硬な態度や恫喝も行われました。この流れは今も引き継がれています。
村山談話発表を機に村山、土井たか子を団長とする謝罪使節団による、「する必要のない」アジア謝罪売国行脚が行われましたが、日本によって長年の植民地支配から解放されたアジアの親日諸国からは「50年も前のことをなぜ謝罪して回るのだ」とたしなめられる始末。愚かな話です。

以上。

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